2.風水理論の真実

九星気学と風水学。別々の理論であるかのように切り離して研究されることが多い開運学ですが、源泉は全く同じところです。紀元前4500年、古代中国の「易学」がその礎となります。その後、紀元前300年頃に、陰陽五行説から風水理論が体系化されて、当初は主に隠宅風水(お墓の場所を決める地理学)が主となっていました。そして数百年かけて、陽宅風水−つまり人が生活したり仕事をする場所に関する風水理論が確立されていきます。

ウソの風水理論?

少し風水の勉強をされたことがある方であれば、風水には本物の風水学とウソの風水学がある、という話を聞いたことがあるかもしれません。

中国がまだ「唐」という国だった時代。
王朝のトップだった玄宗皇帝が、風水の威力に脅威を感じるとともに、その秘術が諸外国に広まることを恐れて、わざと重要箇所を抜いた簡易版の風水書『滅蠻経(めっぱんきょう)』を流布させます。

この『滅蠻経』は、デタラメの風水書ではなく、理論は基本的に合っているのですが、秘術とされる重要箇所を省いた風水書となります。言わば、肝心なところを抜いた「肝抜き風水書」なわけです。

そうして真の風水理論は皇帝が一族を守るためだけに秘密裏に伝承されていきました。

中国の悲劇〜文化大革命〜

20世紀に入ると、貴族階級においても真の風水理論を使った家作り(陽宅風水)や墓作り(隠宅風水)が広まります。 この時点でも民衆には一切、真実が漏れないように『滅蠻経』を元にした簡易的な風水だけが浸透しています。

しかし1966年。
中国最大の悲劇と言われる「文化大革命」によって、中国国内の知識階級の多くが一斉に「粛清(しゅくせい)」に遭います。つまり、危険分子とみなされて投獄されたり処刑されたわけです。そして、当時の風水師もすべて一流の知識階級に位置づけられていましたから、例外なく粛清の対象となったわけです。

真の風水理論を継承してきた知識人の多くは、このときに命を失うこととなります。
現在の中国において真の風水理論を知る風水師がほとんどいないのは、このような歴史的背景があったためです。

欧米への伝播

当時、粛清の波から逃げ延びて、海外に移住した風水師も少なからずいました。
後に彼らは新天地であるアメリカやイギリスを中心に風水理論の流布を再開します。

もちろん彼らは真の風水理論の継承者ですから、欧米に伝えられた風水理論も『滅蠻経』ではなく、威力を有した真の風水となります。

そのため、欧米では「西に黄色」のような日本で一時期ブームとなった日本式の風水?は、一切広まっていません。

日本の風水の正体

では、日本にはいつどのようにして風水が伝わったのでしょうか。

日本に最初に風水理論が伝わったのは飛鳥時代です。しかし残念ながらその理論はまさしく『滅蠻経』でした。つまり肝心な部分が抜け落ちた風水理論です。

これが「陰陽道」や「家相学」として浸透していくのですが、真の風水理論の中で重要視されていた時間の概念(時間の経過に合わせて風水術を変える手法)が取り入れられていないため、風水理論を使って造られた「平城京」も「平安京」も一時的に隆盛はしましたが、残念ながら時代とともに風水効果は減衰し、都としては衰退していってしまいます。

上へ戻る上へ戻る