3.九星気学の確立

「九星気学」あるいは「気学」という理論は欧米には存在しません。現代では日本と韓国だけに広まっています。
『滅蠻経』から派生した九星術を元に、明治42年に園田真次郎が体系化したものが、現在一般的に出回っている九星気学です。

『滅蠻経』から派生したということは、九星気学は効果の薄い肝抜きの風水理論なの? と思われますよね。

一時期日本でブームになった風水(以下「日本式風水」と呼ぶことにします)は、まさしく『滅蠻経』派生の九星気学がベースになっています。『滅蠻経』ですからウソの理論ではないのですが、不完全ということです。

例えば「西に黄色いものを置く」という日本式風水の代名詞になった手法も、厳密には南寄りの15度の範囲内だけで有効な手法であり、かつ、4年に1回しか効果が得られる年が巡ってきません。

日本式風水は、方位や角度の解釈も大雑把ですし、時間の経過を無視していますから、精度がかなり低くなっているわけです。

たまたま、南寄り15度の西方位に、4年に1回のどんぴしゃのタイミングで「西に黄色」を行なった人は、「宝くじが当たった!」と言ってメディアで大きく取り上げられましたが、多くの方にとっては、何も起こらずに黄色い置物だけが寂しくほこりを被ったまま残るという結果になりました。

真の九星気学

九星気学という言葉自体は、先述のとおり明治42年に日本人がつけた名前ですが、「九星」自体は真の風水理論の中にしっかりと残っています。
「四柱推命」の元となっている陰陽五行説も「九星」の理論が含まれていますし、「奇門遁甲」の中では「九宮」という名前で体系化されています。

実は『滅蠻経』にはない、真の風水理論の中にもしっかりと「九星術」のベースが残っているのです。

しかし「四柱推命」は運命学(占う人の運命・宿命を予め知る学問)として定着し、「奇門遁甲」は諸葛孔明によって戦術風水(自軍を優位にさせて、相手を陥れる風水戦術)として定着してしまったため、「九星」や「九宮」についてはあまり表に出なくなります。

「九星」や「九宮」の真髄は吉方位に移動をして、その方位の「祐気(プラスの波動)」を得ることなのですが、当時は一生を通じてほとんど遠方には出かけませんでしたし、引越しをすることも稀でしたので、極めて一部の人しか「九星」や「九宮」の術を使うことはありませんでした。

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